写真、結構よく撮れて雰囲気良い?ので、サムネのデフォルト設定用に決定!

 

これで思い立った文章だけでもパパッと更新できるわ。

 

「デフォルト画像だ」と分かるように、テキストを入れてます。まあ、既存のフォントなので何の凝りもないのですが。

ちなみに姐さんの戯言と綴ってます。はい、なんの凝りもないです。しかもローマ字だし。

 

ずいぶん前からデフォルト画像を設定しようと思ってたんだけど、「さっき撮った写真」のような更新とは差別化したいと思ってたので、イラストか何かでちゃんと作ろうと思ってたのね。コロナ禍くらいの時に。

 

 

とはいえ、そこまでブログに寄らない私。面倒になってそのまま忘れてしまったのだが・・・

 

 

結局、撮影写真にテキスト入れるだけの超シンプル加工なので、所要時間1分でデフォルト設定完了。

 

面倒になってた時間はなんだったのだ・・・・笑

 

 

考えすぎるととっ散らかって時間を無駄にするだけですね、なんでも。

 

 

このブログは私個人の暇つぶしなので、サムネなんてどうでもいいんですけどね。

 

ただ、寄稿のお手伝いする際にはイメージ画像に関しても細かい指定を頂くので、そういう依頼時はちゃんと気を遣って画像付きで記事掲載などはしている。一般的には画像やタイトルで興味を引くというのは重要ですから。

 

自分のブログとなると画像はもはやどうでもいい。

そしてさらに放置がひどくなり・・・笑

 

 

ただね、ブログを更新する時間がないというわけではなく(笑)、「ブログ更新までに至る時間がもったいない」と思うようになったので、放置が続いてるだけ。

 

理由は、写真に対する意識が変わったことが大きいと思う。

写真をアップしてブログの全体の形(見た目?)を整えるのがめんどいんだ。写真嫌いからすると。

 

昨今はブログをやる人はほとんどいないと思う。

写真や映像など視覚的に興味をそそられるものに需要があるよね。個人の楽しみ方にマッチすれば面白いと思う。

 

私はどちらかというと読んでる方が好きで、自分も撮ったり撮られたりより書く方が好き。写真主流のものよりブログの方がかろうじてマッチする。

 

でも、ブログも画像とイコールなのですよ、ブログが流行ってた遠い昔の時代から今に至るまで。

 

この画像アップが手間なのですよね・・

 

私がブログを始めた頃はブログ全盛期、SNS文化が登り坂の頃で。

音楽好きはiPod(iPadじゃないよ)を持ち始め、プロのミュージシャンがmy spaceをやり始めた時代だったかと。

 

 

日本版のソーシャルメディアが普及したのはスマホ登場以降だと思うんだけど、既にイギリスにはスマホが登場する何年も前からfacebookもSpotifyもあったの。

ブログしかりその他のプラットフォームもLaptopありき、browser向けのプラットフォームだったのです。

 

インターネットはこちらから見にいくもの、興味があるところ以外には立ち寄らないような時代です。

そのため、不特定多数に目に止まり言及を受ける機会が少なかったせいもあるかもしれないけど、書くことや掲載するものに関しても若干緩かった時代でしたね。

 

 

当時、実は私もブログ始めてしばらくは写真なんて考えなしでバンバン載せてました。💦(その頃のブログはもう残ってません)

内容もバンバン、ざっくばらんに書きまくりよ。

 

私も知らずに写真撮られて何処かのブログにアップされたりネタになっていても、何も思わなかったもんね。むしろ、載せてくれたんだありがとう〜くらいの。軽い軽い。笑

 

そのうち付き合いのある人から「©︎入れてね」と言及あったり、色々と周りを見聞きしてるうちに私も学び、写真を誰かとご一緒したりそれを掲載する際には事前にOKの許可をもらってから掲載するようになりました。(その分、自分も言うようにはなったけど😅)

 

 

 

私もね、長年、頭の中には(許可取らないとなあ)という意識は一応、常にあります。長い間ね・・

 

 

 

それでも、その意識が無い人は「全く無い」んですよね。

この個人情報個人情報と煩い今の時代でも。

 

みなさまも、たまに困ることもあるのではと推察します。例えば、キャバクラの写真をお姉ちゃんにタグ付けでアップされちゃった時とか。←例が極端。

 

お気に入りのお姉ちゃんの場合、「勝手にアップすんなよ!」・・・とは、なかなか言えないよね。😢

でも、言葉濁して言うよりも「やめて」とはっきり強く言わないと伝わらないんですよ。だって相手は悪気は全くないんです。迷惑かけていると気づかせないと。いや、言っても気づかないかもしれない。

頑張ってくださいね、お父さんたち!←妄想長すぎ

 

結論を言えば、自分の手を離れてしまったものに関しては、後から自分でコントロールできないのです。

 

この問題を回避するには、ソーシャルネット系から離れ、写真を撮る場では「撮影するよ!」と名乗り出て写り込みを避け・・・

それでも無理な時は無理なんで、全人類がスマホを捨てるしかありません。

そうなると原始人ですね。

非現実的な話しはこの辺で終わり。😎

 

 

 

写真を見せるのは嫌じゃなかったんだよ、むしろ好きだった。アップする作業はちょっと手間で嫌いだったけどさ。

それでも「一緒に撮ろう」「アップしていい?」だけで終わってた時代であれば、まだ楽だったのだよ。

 

今は写り込みとか看板だとかロゴだとかうんたらかんたら・・・ぼかし入れたりなんやらかんやら・・・もう、とにかく許可頭で考えると面倒なことだらけなわけ。

 

あと弁理士さんとの出会いも大きい。

数年前に出会ってからというもの、いろんな面白い話しを聞いて学んでるうちに自分の反省含め外側を見ても気になることだらけになっちゃったよ。あ、これはいい影響の話しです。

 

弁理士さんの職業がどんなものかはググってください。

 

 

でもね、そういうところを気にし始めるとね・・もう穴だらけなんよ。(笑)

 

あれもイカン!これもヤバイ!これもアップできへん!・・だらけになり逆に何も楽しめなくなる。

なので、最低限のルールは守り、過剰に気にしすぎることはやめようと思って、そこそこ気楽にITを楽しむようにはしているんだけどさ。

 

それでも、第三者が関わるときはやはり相手目線になることは忘れてはいけないと思う。

 

一定数は「写真撮られる→撮られた後どうなるか」というのを気にしている人がいる。たぶん、写真やSNSが嫌いな人。

SNS人気大爆発の時代だけども、もしかしたら、以前よりも嫌いって思ってる人は増えてるかもしれないって思う。個人的に感じることです。

 

 

友達同士で写真を撮ったり、イベントで仲良くなった人と撮るじゃない?

ごくたまに「え?もしかして写真撮るの?インターネットにアップするの?」と、スマホ出しただけで言う人がいる。無意識的な予防線だと思う。

 

少し前までは、そこまでの反応が出ることはなかったように思うよ。

記念写真撮影なんてアナログ時代から行われてきたことだからね。カメラやスマホ出して撮影するくらいは誰でも普通に応じていたさ。

アップするしない、してほしい、しないでほしい・・・などの話しはその後のことだった。

 

今は、「写真撮る→掲載する」ってのが一括りになってる人もいる。なんなら即その場でアップしちゃうしね。それを懸念してる人が増えてるんだと思う。

 

 

なので常に意識してた方が良いと思う。

いかなるソーシャルネット系のプラットフォームでも、どんな内容でも例え相手を持ち上げる、褒め称えたようなアップであろうとも、それはあくまで自分の楽しみのためのものだと。

 

ごく稀に「キミのこと宣伝しといたよ!」「キミのためにも良いと思って!」って言って勝手にアップしたりタグ付ける人がいるけどさ、あれはアップマン(なんじゃそりゃ)の常套句だと私は思ってる。

相手が文句言えない思考になるように誘導しているのよ。そういうふうに言われちゃったら「アップすんなよ!」とは、言えないでしょうーって思うよねえ。

 

 

そこに対価が発生しない限りは相手のためではありません。自分のネタのためです。

極端な言い方をすると、いわゆるやりがい搾取と同じような手法です。

 

 

何事においても「君のため」と相手にわざわざ伝える時に、本当に相手を思ってやっていることはまずありません。

 

相手のためを思う時、人は恩着せがましく言葉で言わないものです。

 

「君のため」のような言葉を発する時は「相手がいないと実は自分が困る時」または「僕の気持ちをわかって!」と相手を繋ぎ止めようとするとき。

後者は人間らしいことなのですが、残念ながらそれも自分のために相手を理解させたい文句というわけです。

 

本当に相手のためになっている時って、行動や成果があらわになって相手が気づくもの。言葉で気づかせるものではありません。

 

 

自分に置き換えても、なかなか「君のため」なんて言う場面ってないよね。そんなの押し売りみたいで普通、他人には言えないよ。

言えるのはせいぜい子供や配偶者(恋人)くらいだよ。つまり感情剥き出しにしても簡単には離れない親密な間柄、ってこと。

『君のため』って台詞は家族間で主張したい時の便利な言い訳なんですよ。

 

 

「なんでキャバ嬢と写真撮ってんのよ!」(妻)

 

「・・・いや、それは付き合いで・・・常務がさあ!断りきれないんだよ!」(夫)

 

「は?なにそれ?お姉ちゃんと肩組んで写真撮ってるのが常務のせい?なにそれ。」(妻)

 

「これも仕事なんだよ!マリアちゃんは常務のお気に入りなんだよ、だからあしらえなくってさ!俺の気持ちもわかってくれよ!」(夫苦し紛れ)

 

「なんでも仕事のせいなの?仕事が何よ!そんなに仕事が大事なわけ!?」(妻)

 

「・・・・・・・・おまえのためだろう!」(夫逆ギレ)

 

 

 

はい、出ました、「おまえのため」。

 

「君のため」っていう台詞はこういう時に使うものなんですよ。

上記のキャバクラ事例でもわかるように「言い訳」です。

 

この言葉は、家族間及びそれに限りなく近い間柄のみに使用を許された、いわば禁じ手です。

相手が思わずウッとなり即反論できなくなる「間」を作る便利な技ですが、これがたとえ言い訳と見破られたとしても家族間であれば他の場面でフォローできるんですよ。普段から助け合い、譲り合いをしてるのが家族やパートナーですからね。

 

全国のお父さん、頑張ってください!←キャバクラ妄想長すぎるわ

 

 

 

とにかく写真の取り扱いが本当に面倒になったよねえ。

以前は自分の持ち物管理くらいで済んでたところが今では自分の目の届くところに留まらない。

 

お互い同意の上でやって、お互い楽しくベネフィットを感じてアップしあっているのであれば良いことだし、そもそも本来はSNSってそういうものだったと思うんだけどね。お互いの近況を知れたり、思い出を共有したり。

 

今や友人同士の交流ではなく、自分という商品のセールスプロモーションの場。今更ながら、やはりそれらって自分のためだけものなんだなあと。そう理解してないとアカンなあと思う。

 

 

少し以前まではワイワイ楽しく写真撮ったりしてた人も、構えたり、苦手意識を持つようになってる人が増えてるような気がする。

 

思い出を世界中に晒されるのが嫌いな人って結構多いよ。

自分が良しと思っても、相手は嫌と思ってることあるから気をつけねばと思う。

 

誰でも自分がアップしたいからしてるだけですもんね・・・

 

 

というわけで、私は写真のアップが面倒なのでサムネにしました。(長々話した割には簡潔な理由)

 

画像の選定やアップ作業もめんどっちいが、何より気遣いや許可関係を考えると本当に写真は面倒になった。

 

 

極論では、SNSは何もやらないのが一番楽よ〜

対面で話して飯食って運動してる方が楽しいし。

 

 

まあでも、時々インターネットで遊びたい時はあるので、私で言えばかろうじてブログですが、誰でも、何かしらひとつくらいは自分の心にフィットする遊び場はあるよね。

 

記念写真も大好きだし。

たまにご飯の写真も撮りたくなるから気をつけねばと。(許可関係)

 

 

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