先日、気分がハッピー✨な時にインターネットを開いた途端、「ビートルズ」の文字を目にしただけで、更に⤴︎気分がハッピーに。でも、これはいつものこと。

何か特別なことがあるとビートルズ関連に出会う。そして、悲しい時でもそれに出会うと、いつもハッピーになるんです。

 

・・・と、そんな話しから始まったのが、先日のブログ

それからビートルズのレコードについて語っているうちに徐々に心理的な内容になってきたんで、一回ブログを切りました。😅

本日は後半で、前回ブログの続きでございます。

 

 

〜前回のあらすじ〜

 

我々には、意識してないのに、不思議と好きなものに偶然に何度も出会ったり、何かの縁や使命を感じてしまうことがあります。

 

「〇〇があると必ず良いことが起こる気がする」「〇〇さんに偶然会うことが多い気がする」などなど、不思議な偶然や、自分の中だけのジンクスがあったりしませんか?

 

思い込みや、なんとなくの感覚的なものなのかもしれません。

しかし、これって「そんな気がする・・・」という感覚的な話しだけとも言い切れず。実は、自らがソレを探していた、という事でもあるのです。

 

我々の脳には、必要な情報や興味のあるものを敏感に察知して脳に取り込んでいき、優先的に目や耳に入るような働きをする脳幹網様体賦活系という神経があります。

その神経の働きによって、無意識的に欲するものが目についてしまう、ということもあるんです。

 

人は、何かあった時に必ず目に付く物事や出会ってしまう人に、勝手に?使命やご縁を感じてしまうものですが、そう思うのは、それが「偶然」だと思っているから。偶然が繰り返されると、不思議な何かがあるとやっぱり思ってしまうから。

 

しかし、実は偶然ではなく、カラクリはシンプル。

根本は、自分が「それが好きだから」ということ。

自分が考えている(考えたいと思ってる、あるいは願っている)世界が、一番に目に入ってくるということなのです。

 

好き=自分にとっては正しいことなのです。

 

・・・という内容が、前回のブログの大まかなあらすじです。

ビートルズのラストアルバム雑談と”好き”のパワー。(ビートルズ雑談から続いた戯言①)

 

 

今回は、前述の「興味を無意識的にインプット」の力が、もし違う方向へ働いてしまったら?という事を、個人的に考えてみたいと思います。

 

 

インフルエンスはポジティブに限らず。心にYESかNOかを聞くべし

 

前回のブログで考えたように、今、自分の目に止まったことは、きっと自分が欲しているものであり、やるべきことや目指すものであるというのは、概ね正しい。

好きだから、やりたいから、気になるから探している、それは自分自身の心にとっては常にYESであるはずです。

シンプルに考えればね・・・・

 

しかし、脳みそ君もバカではないので、見た物や聞いた事に対して、分け隔てなく頭にインプット=記憶していきます。

 

その断片が、もしも自分の本当の意思や気持ちが良いと感ずる事に反するものであれば、迷いの素にもなります。

それが自分にとって不要な事やよくない事だったとしても、「一度目に止めて深く考えてしまった(迷ってしまった)こと」は、後々にも気にはなってしまうものです。

 

環境が人を成形していくと言われるのは何故か、それは「人間は影響を受けやすいから」という事ですよね。脳は目にしたもの聞いたものをどんどん吸収していきます。

 

仮に、嫌いなものの影響を受け続けており、それを「嫌い」と思う本心や、何らかの違和感から目を背けていたら、いつしか嫌いなものに焦点が当たるようになってくるので、当然、自分の周囲で自然に目につくことも「嫌いなものばかり」になり得るわけです。

 

と、いう事は、前回のブログに書いた「自然に目にする事は自分が探し求めている事」が、必ずしもハッピーであり、自分の本心にYESであるとは限らないと言う事になります。

 

ネガティブなことや自分に合わないことばかりに出会ってしまうのは、しんどいですよね。

でも、それも実は自身が創造していること。

 

「好き=自分にとって正しいこと」であり、好き=気分がいいわけですから、正しい選択をしてると、その道に苦労があっても気分はいいもの。

 

気分が悪くなってしまう場合や「違和感あるしんどさ」を感じる場合は、(ソレ、選択すんなよ)(多分、お前、間違ってるでー)という、内側からのサインでもあると思います。

 

そのサインは、自分の経験や記憶や思考などから蓄積された、自分でも気づかない潜在意識からのサイン。それって実は一番正しかったりするんです。

そして、周りからは分かり得る事ではないわけで。

自分にしかわからないんですよね・・・

 

周りが「君、それ間違ってるよ」と自分へ助言したとして、それが一般常識としての事や、法律の観点でものをいう場合、あるいは学校や社会など組織全体での秩序の上で考えた意見の場合、その人が言うことが正しいかもしれません。

 

しかし、人間の心の内側や自分の生き方、人付き合い、希望や夢に関する事で、一番正しい答えを知っているのは、自分自身のみという事になります。

 

 

その、正しい答えに背いたり、目を逸らしたり、周囲の意見を優先して自分の気持ちに反したまま進んでしまうと、自分の本能が悲鳴をあげてしまうかも。

あるいは(あの人の言うことは正しいから、きっと自分は間違っているんだ。涙)と、常に他人に軸を置いていると、いつしか「自分にとっては実は間違っているもの」ばかりが目に映ってしまうかもしれません。

 

 

例えば、「私は不幸だ」「なんで私ばっかり」「また失敗した」「やめた方がいいのかな」なんて思っていたら、本当に周囲が自分にとって全てマイナスなことばかりに見えてきますよね。

それは、自分が不幸だと思っているから(幸せを自分で認めていないから)、「不幸だと思うような要因」を無意識的に自分が探しているだけかもしれないのです。だから、なんか嫌なことばかりが目につくようになってしまう。

もちろん、本当に周りがひどい場合や、自分にそれが合ってないという事も大いにあります。そしたら、そこから早く逃げるか方向転換するしかない。そのためには、やはり潜在的なNoのサインに自分自身で気付くことが先決になる。

 

違った角度で例を挙げるなら、「僕は野球がやりたい!大好き!」と心から思っているとします。

周りに相談したら「サッカーの方がいいよ」「サッカーやりなよ」「サッカーの方が役に立つよ」と、言われたとします。(すみません、これはただの例なので私は両方好きですので!)

ここで、「ああ、サッカーもいいなあ。やってみようかな。」と、興味を持ったのなら、サッカーをやればよくて、それでOKなのです。👍

 

でも、もしも(いや、僕はサッカーは苦手だ。やりたくない。)と、思っているにもかかわらず、「周りがそこまで言うから・・・」「みんながやるなら僕もやったほうがいいのか」と、心に留まってしまうとします。

何かモヤモヤした気分が残り、サッカーにスッ、と心が向かない自分がいるとします。

すると、自分の中で「サッカーをやることの利点」「野球を選ばないための言い訳」を探すようになります。

(隣のお兄さんもサッカーやってるじゃないか!)(あの高校はサッカーの名門じゃないか!)(断ると友達減ったらどうしよう)(気になる女子も、サッカー好きだって言ってたよな)など・・・

野球からサッカーへ自分の心を切り替えるための、大義名分とは大袈裟ですが、まあ、そのようなものを探すようになるんですね、多分。

で、結果、苦手なサッカーを選ぶ。だって、良くも悪くもサッカーで頭いっぱいになってしまってますから。

 

そこから先は、その人の持って生まれた身体的能力や感性、性格等によるとは思います。運もあるかもね。

実はすっごく向いていて思わぬ才能が開花し「サッカーに誘ってくれてありがとう!」ってなるかもしれないし、周囲の人や環境が良くて良い方向に引っ張られる(運)かもしれないし。やっぱり面白くなくって苦手で、どんどん景色が憂鬱になり、時間の浪費になってしまうのかもしれません。

良いか悪いか一概には言えません。

一つ言えるのは、自分の中で決断していたことを、周囲の情報によって諦めたという事実です。

 

誰かの誘いで伸びていく人間はたくさんいるし、人との出会いや第三者の意見が人生を良い方向へと左右する事があるのも確かです。

でも、もしもそこに「違和感」があるならば、何も余計なことを考えずにYesかNoか、好きか嫌いかだけをシンプルに自分の心に聞いてみて、一刻も早くYesの方へと戻る方が、後悔が少なく済みます。

 

スポーツで例えましたが、上記のような場面に限らず、いろいろな選択肢や壁、人間同士の付き合いでも同じです。

もし迷う事があるなら、心の中で「好き」と思うかどうかというところだけで決めて良いと思います。

楽か苦しいのか、辛そうか面白そうかではなく、向いてるか向いていないか、損か得かで決めるのでもありません。

「好き」か「嫌い」か、です。

 

仮に、好きか嫌いかだけでシンプルに選択して、万が一物事はうまくいかなかったとしても、それは必ず血となり肉となり、後悔はしないと思います。

しかし、それ以外で選択した場合は、後悔する事が多いんだな、こりゃ。ただ、失敗は悪いことではないから、後悔が少ないか多いかだけの違い。後悔してやり直すか、一生後悔するか、ということですね・・・

 

何かに影響を受け、仮にそれがマイナスな気分となるなら、その情報が日常化する前に、即刻、データの削除か上書きをしなければならない。

と、わかっちゃいるけども、不安や心配、恐れや怒りのようなネガティブな感情の方が強く印象に残るというのが、人間の困ったところです。

 

違うと思ったら、違うと認めて捨ての努力をしたり、別のものへ目を向ける努力も必要なのかもしれません。

 

あの人に好かれてそう、嫌われてそうな気がする、とか、感じいいな、ちょっと苦手だなとか。初めて来た場所なのにピンと来る、合いそう!とか、何かこの雰囲気の場所はやだなあ、ココ来ると気分が悪いなあとか。

これ楽しそう、これ嫌な感じ・・などなど、不意に察したり感じてしまうのも、概ね間違いとは言い切れず、何かの記憶や感覚が思わせてしまうのであって。

その物事やその場所(に似た雰囲気の場所)、そのタイプの人間と、良い記憶やハッピーなことしかなければ、間違ってもネガティブな感覚に陥ることはないはず。

 

シンプルに考えれば、答えはわかるはずなのです。

 

 

だからこそ、好きなものを素直に追い求めていく感覚や、無理やりでも楽しい事や好きなものに触れていく事は、とても大事ではないかなあと思います。

「好き」を育てる訓練というのかな・・

 

 

シンプルな解決法がない時代だからこそ、究極にシンプルに考えたい

 

皆さんも、今、色々と大変なことも多いと思います。

私も同じく、大変なことやしんどいこともあります。だらけです。(笑)

そして、自分の事だけではなく、周囲のことを考えると、もっと大変ですよね。

 

前も言ったかもしれませんが、これはもう、時代背景のせいにしてしまえ!という方が楽かなと思います。

考えすぎてそれが内に向かうならば「時代だからな、ふっ。」と少しだけ開き直って、流すようにすれば、自分のせいにも、誰かや何かのせいにもする事もない。

 

自分や、誰かが、何をしたか、できなかったか、どうしたこうした・・と、人や物事など実体化するものを相手に考えていくと、誰もが大きな悩みを抱えざるをえないですし、きっと昔のようにシンプルな解決は無い時代です。

 

テクノロジーの発展と共に情報の発信や意思の疎通方法が増え、それによって歪むこともあれば、過大にも過小にもなり、受け手の解釈に身を委ねるしかないわけで。

相手と自分の考えは違うという根本が、インターネットという光の壁によってさらに歪んで分かり合い難くなってますから。

 

対面で自分の思いを相手に伝えるのは、表情や声色で如実にわかるから楽です。誤解があればその場で訂正できる。

でも、SNSやメールで「😀」の絵文字で伝えたら(何をおちょくっとんのや!)と受け取る人もいるかもしれません。

 

昔のように、糸電話でしたら訂正も楽ですけどね。(←いつの時代やねん)

 

 

でも、物事の良し悪しを受け手の想像や基準で決めて、もしそれで何かの結果が歪んだとしても、それって、投げ手の方法が悪いのか、受け手の解釈が悪いのか、どちらがいけないのか拘る事って、今やもう、ナンセンス。

 

そんなややこしいシステムがある時代と、限りなく実現が可能な無限の選択肢があり、物事を無限大に発信できて、無限大の人々が無限の答えを解釈し得る事が問題なだけ。

繋がりや選択は増え続けているのに個人化が進むのも時代。

 

時代のせいにするのも考え方によっては重いしズルイ?ですが(笑)、しかし、小さな原因追及をするよりもずっと楽になります。

誰もが同じ時代を生きてるわけですから、ある意味、喜びも悲しみも全てフェアーであり、そこを互いにカヴァーし合うという発想になれば、Be Happyに繋がるのではないでしょうか。

 

せめて目に映る世界を楽しいものにするために、わずかに開いたドアのその先で、目に飛び込んできたことや、気持ちが晴れやかになるような事をピックアップしていきたいですよね。

宝探しのような気持ちで!✨

 

 

ちなみに私は、キモチを持ち上げたい時は、ビートルズを聞いたり、弾いたりするはもちろんですけども、肉食べたりします。😅

 

別に肉でなくってもいいんです、自分の好きな食べ物。食べたいって思う食べ物。

それを心から美味しく食べることができる時って、なんだかんだ、生きてるんですよね。心も体も。

少し辛いなって思うような出来事があった日でも、美味しく食べることができれば「おっ、ワタシ、大丈夫じゃん!」なんて、バロメーターにもなる気がします。

 

好きなものが目に飛び込んでくる限り、たとえ行動には移せなくったって好きと自分の心が言える限り、今の自分がどんな苦しい状況であろうとも、その中ではきっと今日が一番のベターであってYesであり、きっと明日は今よりいいんだろう、ってことなんだと思います。

 

反対に、好きなものを好きと言えない時。

好きじゃないのに嫌いなものを違和感ありながらも受け止めている時。

好きなものがなんだかわからなくなった時。

そんな時はきっと体も少しキケン信号を発してると思うから、意識的に好きなものを探すよう心がけた方がいいと思います。

 

 

私も、違和感ありながらやってる時あるんですけどね。しょっちゅうです。(笑)

誰でもさ、そう簡単に好きなことを見つけてやれるわけではないしさ、仕事なんて基本いやだなあなんて時の方が多いじゃない。違和感があろうとも続けなきゃいけない場面だってあるから、簡単なことではないよね。

 

ここまで「好き」について話しておいてなんだけど・・・

 

好きなことを好きと言えて、それに向かってまっすぐ迷いなく進める人なんて、そんなに沢山いないと思うんだよね。

ほとんどの人が、好きなことに自信を持てない、好きなことが見つからない、好きだけど環境が許さない・・・だけど、そんな中で努力して幸せを掴み、結果的に自分自身の生き方に満足できる。もしくは、模索しながらようやく好きなことを見つけ、ささやかな幸せを見つけていったり。それが人間の暮らしだよね。

 

ただ、世界の中でほんの一握りしかいないようなさ、業界のトップのトップ!みたいな人はさ。大企業のトップとか発明家とかスポーツ選手とかミュージカルスターでもなんでも。

そういう人たちは、単純に、好きな事を「ただ好きだから」という理由で、寝る事も忘れて追い続け、やり続け、追求し続けてきた結果、トップになっちゃってた、という人しかいないよね。

スタート地点に打算も迷いも全くない。好きだから始めて、好きだから続けた、という。

子供の頃から、誰よりも早い段階で自分の「好き」を見つけていて、人より早くそれに純粋な心で打ち込んでいて、そして、自分に正直。「一握りゾーン」には、そんな人しかいない気がする。

 

今の時代、何かに優れているか否かって表現はナンセンスだけども、仮に人と違う特化した何か、優れた何かを持っているとしたら。あるいは「好き」を手に入れるとしたら。

それは、いかに早い段階で「好き」を見つけたか、「好き」に迷いがなかったか、ということだけなんじゃないかしら。

 

極論としては、自分の「好き」の気持ちに仮に背いていたとしても、ゴハンさえ美味しく食べることができていれば、それは素晴らしいことだと思う。

正直なところ、食事の時間が人間にとって一番幸福だと思ってます。

だから、最低限それができていれば、美味しく食べれているならば、それは幸福である、そう思います。

 

 

シンプルにネットから離れるのもいいですよ。

体も楽になるし、頭もスッキリ。

いつも自分に全く関係も興味もない情報を、さも興味あるかのように脳が見さされて?いますからねぇ。

 

昔は、ブログも毎日更新したり、暇が出来ればインターネットを開いたり、こまめにTextのやり取りしたり、いろいろやってたんですけどね。

でも、これらって、空き時間の趣味に思えてたけど実は単純に労働力の消耗ですよね。(笑)

何の義務もないのに義務化している。まあ、これも時代です。

 

だから、その時間がないと楽になるのは当然のこと。

 

ビジネスモードの時は仕方ないし、好きでやってる時であればそれもいいんだけどね。そうじゃない時には、外部情報を閉じた方が良いに決まってます。これは主観ですが。

ブルーライトとか色々物理的な要因もあると思うんだけども、情報が増えるとそれだけ意識することも増える。これが無いと、頭も体もスッキリするのは当然かなって思う。

 

 

この世に、今すぐ秒で伝えたり知るべきことなど、限られています。

 

ご飯を食べて水を飲まないと生きていけないけど、ネットがないと生きられないわけではない。

今、目の前に現実的に見えていることや訪れている事、自身の健康を考える事の方が大事。

 

だから、飯が目の前にあれば飯を楽しく集中して食う!スマホ持ってたら味が半減するし、作った人に失礼ですしね。☺️

 

糸電話や伝書鳩の時代を思い出しましょう。(←いつの時代やねん)

 

 

テクノロジーも人を豊かにしたり助けることもできる素晴らしい面が沢山ありますから、そこは感謝しながら、バランスをうまく保とうと思ってます。

 

 

We will be happy!

 

 

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