「ヒゲダンスナイト」
第2話《英国的照明効果》
ブルーズやジャズセッションの場で知り合った仲間は私も沢山居る。
ロンドンで出来た友達は、ほとんどそれらセッションが行われているパブで出会ったと言っても過言ではない。
それらのジャズプレイスの中のひとつ、南に位置する市街地から少し離れた老舗のジャズバーで知り合ったイギリス男性がいる。
名前はデイビッド。通称デイブと呼ばれる彼の職業はジャーナリストだ。
デイブはミュージシャンではないので一緒に演奏したステージ上で知り合った仲間ではなく、あくまで客席で騒いでいた時に知り合った友人だ。
毎週、そのセッションの曜日になるとデイブと顔を合わせ、複数人の仲間とともに音楽やドリンクを楽しんでいた。
彼の職業がジャーナリストと聞き、どんな記事を書いているの?と尋ねたところ、あまり言いたくは無いという答えが返って来た。人生色々、生活のためになさっている事もきっとあるのだろうと思った。
デイブと話す時は、いつもジャズバーの薄暗い店内だ。
前述のそのバーは、いわゆる60年代の音楽映画に出てきそうな雰囲気の味のある佇まいで、本当に薄暗い店だった。
ジャズの生演奏が流れ、ドリンクを飲み騒ぐ人達の声等が大きく響いている店では、当然客の皆が陽気になっている。
そんな薄暗い場所でドリンクが入ってる状態で毎度騒いでいる友人に、偶然「素」で明るい場所で会ってしまうのは、結構恥ずかしい。
そう、私はピカデリーラインのグリーンパークという駅にてバスキングをしていた時に、デイブに遭遇してしまったのだ。
その日バスキングしていたグリーンパーク駅のピッチへと現れたデイブの姿に、一瞬誰だかピンと来ず、それがデイブと気づくのにしばらく時間がかかってしまった。
駅構内は、パブやフラット内の灯りとしてはほとんど使われていない蛍光灯がここぞとばかりに設置され、灯りが煌々としている。
お肌の曲がり角が気になって仕方ない女性陣には本当に迷惑な場所と言える。
地下鉄の構内はかなり明るい。イギリスの灯りは基本的に暗いのに、公共施設は煌々としている。
イギリスでフラット生活を始めると、日本人はまずその部屋の暗さに驚くようだ。六畳程度のシングルルームであれば40Wというのが標準的なワット数であり、もし60Wの電球がついていたならばそれはラッキーであり、かなり明るい部屋に住んでいるという事になる。
厳密にはケルビンの差であるだろう。しかし、そんな小難しい話しは私にはわからないので、感覚的にしかここではお伝えできない。
勉強をするためにロンドンにやって来た人、読書やコンピューターワーク等が好きな人は、自身でデスクランプ等を購入したり等、注意していないとあっと言う間に目が悪くなるらしい。きっと、私自身も少し視力が落ちているのかもしれない。
お店等の照明も、あたたかみのある色合いの暗めが主流だ。
この照明加減が女性にとっては大変有り難い美肌効果をもたらす事もあり、ちょっと嬉しいところである。
にも関わらず、ロンドンの地下鉄構内や車両の中、デッカバスの二階の照明だけは異常に明るい。
車内で覗いた手鏡に写る自分の姿に、日本ではあんなに過剰になって処理を怠らなかった鼻下の産毛が、ロンドンの照明のせいでいつしか放置され、とてもナチュラルな口元に戻っている事に気付く。
ロンドンの店内、室内とは。それは、恐るべし照明効果のある場所と言える。
そういった諸事情もあり、薄暗い店内で騒ぐジャズバーメイトであったデイブに「素」で会うのは不思議な気分だ。
その時私は、いつものように構内が煌煌とするグリーンパーク駅でバスキングをしていた。
眼鏡をかけた金髪のイギリス男性が「Yoko?」と声を掛けて来たが、見覚えのない顔に私は数秒無視してしまった。
聞き覚えのある声に気づき、我に返って頭の中で知る限りのイギリス知人をぐるぐると巡らせてみた。
そして、再びその男性の顔を見つめ直した。
無表情で真面目そうなルックス。こんな人は知らない。
しかし、穏やかそうな雰囲気の中に見え隠れするユニークな表情はもしや・・・
「もしかして、デイブ?」
「イエー、デイブだよ。酷いな、気付かないんだもんな。」
そりゃあそうだ。私が知っているデイブはいつも酔っ払って騒いでいる。
私が演奏の手を止めると、デイブは続けて話し始めた。
「ステージでいつも聞いてたYokoに似た歌声が聞こえたから、まさかと思って音のする方へ近づいてみたんだ。やっぱり君だった。」
そう笑ったデイブの口元は、うっすら金色の無精髭で覆われていた。
以前に気付かなかったその髭面の一面に、照明効果の偉大さを私はしみじみと実感していた。
そんなことを思っていた私にデイブはこう続けた。
「でも、僕もYokoだと気付くのに少し時間がかかったよ。」
やかましいわ。
(3ページへつづく)