「ユースケとカイ」

第3話《苦難の道中》

 

 

台風が去った翌日、8月の、それはそれは素晴らしく晴れた金曜日の事だ。

私はユースケさんに自転車を借り「宮古の端」である東平安名崎を目指し、周辺のビーチを探検する事にした。

 

しかし、宿スタッフご一行はあまりおすすめをしていない様子である。やめたほうがいい、皆がそう口々に、これから訪れるであろう苦境を私に忠告した。しかし、気にはしない。私はこれでも、自転車漕ぎの早さには自信がある。

私は朝一番に出発した。そして、3時間後に早くも後悔をするのであった。

 

この照りかえるような暑さにも関わらず、販売機も売店も食堂も一向に現れない。もう3時間以上も自転車で走り続けている。それなのに平良を離れてからというもの、辺りには何も現れない。

「どうなっとんねん!」

私は自転車を猛スピードで漕ぎながら叫び続けた。叫んだところで、そこには道が続くのみ。周りには何もなければ、人すら見当たらない。何時に出たのかはっきり覚えていないが、感覚的には5時間くらい経っているような気もしていた。

時々、30分から1時間に一度くらいの割合で島のおじいやおばあを見かける時もある。声をかけるのをためらい、次に誰か人を見かけたら声をかけてみようと心に決めたところ、しばらくすると遠くにご高齢の女性の影が見えた。

そのおばあに訪ねてみる。この道は正しいのか、東平安名崎にたどり着くのか。どこまで行けば水が飲めるのか。

おばあは、優しい笑顔で私に答えを返した。

しかし何を言ってるのか聞き取れない。これが方言の威力なのか。

私は、自分を信じ続けて自転車を漕ぐしかなかった。途中、あまりに寂しくなり、友人にメールを打つ。だが、返事は来ない。またしても絶望だ。私は宮古で脱水症状を起こし、間もなく息絶えるであろう。

しかし、希望は捨てない。きっとこの先に東平安名崎は存在する筈だ。

 

しばらく自転車を漕ぎ続けていると一軒の建物の影をようやく発見した。どうやら、馬小屋らしい。

「おお、神様」

馬小屋はそこそこ立派な構えであった。

これは馬だけではなかろう、きっと人間もそこに存在しているに違いない。そう確信した私は、この馬小屋を管理するお宅でアイスコーヒーでもお呼ばれしようと決意した。

すいませーん!助けてください!と、大きな声で叫んで小屋を覗き込むと、作業服を着た金髪のかっこいいお姉さんが小屋の奥から出てきた。

「どうされました?」

「アイスコーヒーを・・・アイスコーヒーを頂けませんでしょうか!」

人間、切羽詰まっていると心に正直になる。そこには遠慮という思考はなかった。この数時間、頭の中にはアイスコーヒーのことしかなかったのだ。

いつか私が生涯を終えるとき、きっと、最後にアイスコーヒーの事を思い出すのだろう。ぼんやりとそんな事を思いながら虚ろな目をした私は、お姉さんにアイスコーヒーをすがった。

「ちょっと待ってね」と、笑顔で快く受け入れてくれたお姉さんの後ろ姿を眺めながらアイスコーヒーを待った。

 

粋なグラスに注がれた魅惑のアイスコーヒーを差し出しながら、お姉さんが私に言った。

「お嬢さん、島の人?もしかして観光の方?」

「はい、観光です。東平安名崎へ向かおうと・・私は、私はたどり着けるのでしょうか?」

お姉さんはにこりと笑って私に返した。

「短パンで自転車に乗ってるから、島の人かと思ったのよ。色も黒くて顔も濃いから。でも、女の子が、なんでわざわざ自転車に乗って暑い中、遠出をしようと思ったの?」

「自転車が好きなので・・・」

「宮古島って大きいのよ、平良を抜けると本当に何もないから。でも、このまままっすぐ行くと、東平安名崎にたどり着くわよ。そうねぇ、あと2時間も走れば大丈夫!」

「2時間・・・ですか。」

ここでしばらく休息したほうが良さそうだと私は思った。

そのアイスコーヒーは人生で一番美味しい味に思えた。

 

偶然ながら見つけたこの場所であったが、ここがなかなか素晴らしい場所だった。そこは、世界に6馬しか生存しないと言われる「宮古馬」を拝見することができる有名な馬小屋だったのだ。

アイスコーヒーが衝撃的に美味しいと思ったのは、私の衰退しきった体だけのせいではなかったのだ。お姉さん曰く、時折、宮古馬を求めて訪れる観光客のために小さなカフェを開いているというのだ。つまり、本格カフェの味なのだ。

馬小屋の側の休憩場にしてはお洒落な雰囲気が漂っているとは思ったが、何より、カッコイイ金髪のそのお姉さんのスタイルも、とても作業服の着こなしとは思えないほどにお洒落な佇まいがあり垢抜けていた。カフェの名物姉さんという事であれば全て頷ける。

しばらくそのお姉さんと世間話を楽しんだ後、私は後ろ髪を引かれながらも再び旅立つ決意をした。

見送りの際には、お姉さんの息子さんらしき少年も建物の奥から出てきて声をかけてくれた。せっかくここまできたのだから、東シナ海である「吉野海岸」まで行ってはどうか、と二人に勧められた。

「本当にね、本当に、綺麗なのよ。もう、宮古一、綺麗な海と言っても過言ではないわ。それに、市街地がら少し離れているでしょう、海岸には車で来る人たちくらいしか居ないから、人もそんなに多くないし。あの海だけはね、本当に見て欲しい。」

そこまで言われたら行くしかないだろう。私は、道を尋ねた。

「この先しばらく行ったところにね、左に折れる道があるから、そこを左に曲がってから・・・そうね、40分くらい走ると着くわよ。」

「40分・・・ですか。」

 

厄介なことに、吉野海岸は、東平安名崎までの道のりの途中にあるわけではない。途中で左折し、そこから40分だという。ということは、海岸へ辿り着いてもそこから引き返し、元の通りに出るまでさらに40分。そして再び、東平安名崎へと進路を変えて向かうとなると、私が東平安名崎にたどり着けるのは、一体いつになるのだ。

お姉さんたちと別れた後、自転車を漕ぎ始めてしばらく経ち「左に折れる道」を見つけた時には、既に私の心には、お姉さんとの約束の言葉に対して裏切りの気持ちが芽生えていた。

しかし、一度決めた約束。やはり行くしかないと左折し、吉野海岸を目指して更に自転車のスピードをあげた。

まさに40分くらい経った頃だ。右手方向を見ると海岸へ下るような抜け道が見えた。その先が吉野海岸だろう。私はその抜け道から海岸へと向かって降りていった。

 

その海の透明度は言葉では伝わらない程に素晴らしかった。

吉野海岸を見るために私は宮古島にきたのではないかと思うほどに、今まで見たことのないような海であった。

とにかく透明なのだ。水、ただの水ではないかと思うほどに。ブルーでも、エメラルドブルーでもない。カラーの表現ができない。なんの色も付いていない、透明中の透明なのだ。

夏真っ只中の時期ゆえ、海水の温度も高いので、少し思考を変えるとまるで温泉にでも入っているような気分になる。

ああ、来てよかった。生きててよかった。

 

調子に乗って海で遊び過ぎるところであったが、帰りの時間の問題もある。私は早々と切り上げ、再び東平安名崎を目指す事にした。

そして再び40分自転車を漕ぎ元の経路に戻って一本道に突入。遠くには有名な東平安名崎の灯台が見えてくる。

灯台の形が見えたからといって、もうすぐたどり着くなんて思ったら大間違いだ。これがもの凄く長い道のりなのだ。いつになったらあの灯台に近づくのか。

そうして、やっとの思いでたどり着いた灯台のふもと。そこは、左に東シナ海、右に太平洋という景色が見える。

素晴らしい。私は、東平安名崎を見るために宮古島に来たのではないかと、そう思った。

 

思わず感傷に浸りそうになったが、目的であるパラダイスな気分に浸らねばならぬと思い、近くに来ていた移動売店へ向かい、そこで生マンゴージュースを頼んだ。

「姉ちゃん、自転車で来る人はあまり見ないよ。根性あるね。」

売店のお兄ちゃんはそう私に言って、金額を少しサービスしてくれた。

振り返ってみると、ここへ来るまでの自転車の道のりの中、すれ違う車からTシャツを投げかけてくれたり「姉ちゃん、頑張れー!」という声援を車の中からもらう事が度々あった。

(自転車でここに来るということは、そんなに珍しいことだったのか。)

朝の宿での周囲からの忠告、馬小屋で出会ったお姉さんの意見、そしてここに至るまで。世間から見るといかに奇特な行動だったかという事にようやく気づいた私であった。

 

夕刻に近づく前に帰路へ向かわなければならない。マンゴージュースを飲み干した後、私は再び自転車にまたがって颯爽と走り始めた。

怖いくらい何もない海沿いの道を、私は何時間も何時間も自転車で走り続けた。

そのまま真っ直ぐ帰れば良いものを、途中で見えた与那覇前浜に立ち寄ってしまい、そこで夕日を眺めながら感傷に浸ってしまった。目的はまだまだ先という通過地点にも関わらず既に夕日が見えるということで、何か嫌な予感を感じずにはいられない。

この与那覇前浜、そして先の吉野海岸、どちらの場所でも偶然にステーブ一家に遭遇した。もちろん、あちら様は車に乗って移動している。

「ダイジョブ?クルマ、ノル?」

スティーブさんの声を聞き、私の中に潜む悪魔の私が”ユースケさんに借りたこの自転車を捨てて、スティーブの車に乗り込め、乗り込め”と何度も囁いたが、天使の私がそれを許さなかった。私は、人間である事を誇らしく思った。

 

そこから平良市内に入るまで、果たして何時間自転車を漕いだのかわからない。

すでに外は真っ暗けだった。何もない道、そして周りは真っ暗なのだから、もちろん何も見えない。

途中で公道が無くなってしまい、田んぼのあぜ道らしきところを経由した。果たしてこの道で良いのかと思うほどびっくりするほどのただのあぜ道だったが、方角的にここを通らねば市内に行けそうにない。

方角的に間違いはないものの、そのあぜ道に入った瞬間に完全に灯という灯らしきものが存在する世界からは閉ざされてしまった。自転車のライトで照らせる範疇ならばうっすら見えるものの、デコボコが続くあぜ道で数十センチ先を照らせたところで何の心の準備もできない。常にデコボコ道のパニック続きだった。

ようやく公道にたどり着いたが、そこから先も暫くは周囲に何もない。ひたすらに自転車を漕ぐしかなかった。

 

しかし私は道を迷うことはなかった。なぜなら、街灯すらないような真っ暗な道を自分の漕ぐ自転車の明かりだけで走っていたため、余計な光の誘惑が周りに存在しなかったからだ。

多くの灯りが集中しているであろう光の場所が見える。そして、それはただ一点のみ。

うっすらと遠くに見える、あの明かりが灯る方へ行けば良いだけなのだ。光が見える場所、そこが市街であることには間違いない。

 

ようやく平良市内の賑やかな通りに着いた私は、ほっとして自転車のスピードを落とした。

ここまで来れば、もし私が自転車ごと転んでも見つけてくれる人がいる。人の存在感ある暖かみのある空気をありがたく感じた。

そして、ふと目に見えた居酒屋らしき店に飛び込んだ。

泡盛と郷土料理をオーダーした後、水をがぶ飲みし、むしゃぶりつくように出された食事を頂いた。無心で自転車を漕ぎ続けたことで悟りを開くことができたと思いきや退化してしまったようで、ほとんど野獣化している。

そうして、宿に着く頃にはすっかり22時をまわっていた。

 

思えば早朝から今までほとんどの時間、私はずっと自転車を漕ぎ続けていた。

宿の手前で自転車から降りた私は、ヨタつく足を踏ん張りながら自転車を押し、宿の門をくぐった。

 

(4ページへ続く)

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