「ユースケとカイ」
第5話《早朝フライト》
カイさんは、ハッタリでギターを背負って宮古島にやって来た私の、初めてのセッションパートナーだった。
弾けないコードを教えてくれ、誰かと一緒に「演奏を楽しむ」という事を教えてくれた。
「人前に立って演奏するのが嫌いだから」と言いながらも、私が演奏していると、すっ、とサポートに入ってくれる。気が優しく控えめなところもあるけど、どこかどっしりと構えたその雰囲気は、私の師匠か先生のようでもあった。
私はこの宿でカイさんと出会ってなかったら、宮古でギターを弾くこともなければ、その後もまともに弾くこともなかったかもしれない。
ユースケさんと出会ってなかったら、人前で演奏する楽しさや、誰かが声援をくれる喜びも知ることなく、ひとり弾き語りをして舞台に上がることもできないままだったかもしれない。
スティーブさん一家がいなければ、弾き語りをやろうなんて思わなかったかもしれない。ただただ、スティーブさんの退屈凌ぎになればと下手な演奏を披露したのが全ての始まりであり、きっかけだった。
たこ焼き男子がいなければ、私の「その日」は、間違いなく「宮古島自転車一周旅」という思い出だけで終わっていた。私がカイさんを演奏へと連れ出したのではなく、たこ焼き男子が、私たちを門の外へと連れ出してくれたのだ。
彼らに出会い、そして彼らのいる宿で出会った人たちの全てが、私にとっての「パラダイス」であり、当初求めていた場所に間違いなく私は来ることができていたのだ。
台風直撃も神様からの贈り物。それまでに至る絶望、そして絶望から逃げたい衝動で訪れた放浪の地で待ち受けた台風。それらは全てパラダイスへの入り口だったのだ。
ユースケとカイ。
彼らに出会うことがなければ、私のギターは背負ってきただけのハッタリで終わっていたかもしれない。きっと、ハッタリのままでギターを弾くことを諦めてしまっていただろう。
ギターを片付ける私に声をかけたカイさんは、笑いながら続けてこう言った。
「もし出発する時に俺が寝てたら、起こしてね。でも、早朝でも絶対起きるから、起こしてもらう事はないと思うけど。」
最後に演奏しよう、そう言って私達は「WAVE」を弾いた。なんだか瞼がしょっぱい気がした。
カイさんとの演奏を終えた後、荷造りを続けていると鞄の中にあるジョーパスのスコアブックに気づいた。
ジョーパスとは、天才的なプレイをするジャズ屈指の伝説のギタリストである。以前にジャズ歌手サラヴォーンのアルバムに参加しているジョーパスの音色を聞き魅了されたこともあり、ギターを購入する際に目に止まったジョーパスのスコア、その表紙に惹かれてつい購入したものだった。
どう頑張っても初心者が弾けるはずがないのに(何故宮古島にこのスコア本を持ってきていたのだろう?)と、改めて私は自分の不可解な行動に笑った。
私は、荷造り途中で宿の受付付近に戻り、カイさんの姿を見つけた。
その話しをすると、彼はジョーパスの大ファンだと言う。確かに、カイさんのギターであればジョーパスの雰囲気に近いものもあり、好きというのも頷ける。
私がこのままこのスコアを持っていても手をつけずじまいに陥りそうで、宝の持ち腐れとなる。ジョーパスが好きだと言うカイさんにプレゼントすることにした。
「私が持ってても弾けないままだろうから。貰ってもらえるかな?」
私はカイさんにスコアを渡した。
「ジョーパス好きだからすごい嬉しいけど・・でも、持っていればいいじゃん、せっかく買ったのに。それに、イギリス行くんだろう?練習しなきゃ。」
カイさんは、台風上陸一日目の夜のセッション時、私がかましたハッタリについて言及した。
「とりあえずビートルズのスコアを見て、できるところからやってみる。」
私は笑いながらそう返して、彼にジョーパスのスコアを渡した。
そうして、私たちは握手を交わした。
「カイさんも、ギター弾き続けてね。お互い、イギリス進出に向けて頑張ろう!」
「イギリスは君だろう、はは。俺はもういいよ、人前で演奏するのはさ。」
カイさんは、苦笑いをしながら答えた。
そしてこう続けた。
「でも、ありがとう。スコア、すごく嬉しいよ。うん、お互い頑張ろう。」
ジョーパスのスコアブックを手にし、カイさんはにっこりと笑った。
翌朝、私は出発の時を迎えた。
男らしいユースケさんはやはり早起きだった。
荷物とお土産袋を手に持ち、ギターを背負った私は宿の玄関を出た。すると、すでにそこにはユースケさんが見送り体制を整えて立っていた。そして私にこう言った。
「ヨーコちゃん、東京に疲れたら宮古に移住しいや。皆待ってるから。カイも本当の自分を発見できたと思う。元気ではつらつとして無茶苦茶で、カイとは全く違うタイプのヨーコちゃんのおかげや。いい出会いやったと思う。」
私も、違う自分の一面を発見することができたと思う。ユースケさんにこちらこそ有難うございました、そう伝えた。
その肝心のカイさんは、爆睡していた。見送りに来る気配もない。
彼の前夜の言葉通り、私は遠慮せずたたき起こしに行くことにした。「もういくぞ!」そう一言カイさんに声をかけて、宿の門を出た。
ふと私を呼ぶ声が聞こえ、少し振り返ると、寝ぼけ眼のままボサボサの頭で門まで走り出てきたカイさんの姿があった。
カイさんは、マンゴーとバナナケーキのお土産袋を手にしてゲストハウスを立ち去る後ろ姿の私に向かって、続けてこう叫んだ。
「また、演りましょうね、絶対に!」
再び深く振り返ると、ユースケさんとカイさんのほか、宿泊客の全員が門の前に立っていた。
皆がこちらに向かって手を振り、見送ってくれている。私も笑顔で手を振りかえした。
新たな旅へと向かう足が重い。
このまま後ろを振り返り、たくさんの笑顔が見えるあの門へ戻れば、この足は軽くなるのだろうか。
しかし、前に進まなければならない。
飛行機は朝一番に飛び立つ。私は、居心地の良いこの場所を離れ、その早朝フライトに乗らなければならない。
私は宮古島を出て、別の島へと旅立った。
旅の途中、何度も宮古島に戻りたくなったが、再びそこに戻ることはなかった。
(6ページにつづく)