東京から沖縄県宮古島に逃亡したあの日。ギターを弾けないくせに、何故かギターを背負ってやって来た島の小さな宿。そこで出会ったイケメン男子、ユースケとカイ。彼らとの偶然の島での出会いが、後の運命を大きく左右します。
翔んでるキャラで、その夏の島の皆を盛り上げた1人の女性客、物静かな性格でその女性に引っ張り回される実力派ギタリスト、カイ。二人のセッションの音色がやがて宮古の路上へと流れます。
宮古島での初バスキング、炎天下の中、自転車での宮古横断、そして珍事件。
宮古島でゆるやかに流れる時間の中、人はふれあい、語り合い、そして旅人達は新たな場所に旅立つため、別れます。
いつか、再び何処かで出会える日を信じて・・・
(以上、イントロダクションより)
はじめて人前で弾き語り演奏を披露した宮古島での出来事を寄稿で綴ったエッセイになります。
過去に掲載してたサイトの閉鎖により現在まで再公開してなかったのですが、オフィシャルサイトのリニューアルに伴いエッセイページを作ったので、そのフォーマットとしてこちらのブログにアップしています。
(エッセイのためかなり長文です。ブログ観覧としてページに訪れた方はご遠慮なくスキップしてください。)
こちらは2005年の執筆です。島の様子や景色、店などの情報は当時のものですので最新の情報ではありません。当時の背景を大事に思ってるので内容は変えずにそのまま掲載しておりますが、登場人物名は全て仮名で執筆させていただいております。
また、若く拙い表現も多くお恥ずかしいですが何卒ご容赦いただけたら幸いです。
初イギリス演奏へと繋がる前日談風珍物語。始まり始まり。
「ユースケとカイ」
第1話《逃亡のあさ》*2004年の実話・2005年執筆
懐かしい場所がある。
忘れられない場所がある。
絶望の中の出逢いだからなのか、それとも、直感で「誘われた」場所だからなのか。
「宮古島」。
私はなんとなくこの響きが好きだ。数ある沖縄の離島の中で、この「なんとなく」から足を踏み入れた島、宮古島。
私の小さな思い出のアルバムからひとつ。平良市にあるゲストハウス「A」の二人のナイスガイの話しをしたいと思う。
人は何かを忘れたい時、何かから逃げたい時、誰もいない場所へ行きたい衝動にかられる。
その時私は「南国」を求めた。「開放されたい!」「傷を癒して穏やかな気分になりたい!」と願う時、冬に訪れる銀色の世界を求める人もいるかもしれない。北の海へ足を運ぶ人もいるかもしれない。
しかし、私の心は南の空を求めていた。「パラダイスな気分になりたい!」と叫んでいる。青々と輝く広い空、癒しの海を求めている。そして、マンゴーとバナナケーキにも惹かれている。
私は、宮古名物マンゴーとバナナケーキを求めて宮古島へ降り立った。8月の蒸し暑い季節の朝のことだった。
空から降りる時に眺める海は本当に素晴らしい。あぁ、南国に来たのだ、と叫びたくなる。
しかし、宮古空港から出たとたん、本当に叫んでしまった。
その景色は、今この心が求めていたものとは全く逆の景色であった。
いきなり台風の登場である。空港に降りた途端に、そこはすでに台風色した空、暴風域突入も目前といった様子であった。
思えば、よく無事に空から降りれたものだ。
ちなみに、私がこの島に来た理由は、絶望の真っ只中だったからだ。もう、やること成すこと全て上手く行かない時期であった。ならば全部放棄して、大好きな海でも見てのんびりするか、と、そんなとこだ。特段、大きな目的があったわけではない。
それなのに、いきなり台風かい?神様、あんまりだ。
私はさらに絶望的になり、欠航便が相次ぐ中、閑古鳥が鳴いている宮古空港のレストランに入り、大好きなアイスコーヒーを頼んだ。おそらく2時間くらいグラスの中の氷をストローでつついていたかと思う。
予定では、空港に降り立った後に歩いてのんびりと宿を探すつもりであったが、「この雨風の中、”その荷物”を持って短パン姿、流石に徒歩は無理だろう」と、当該レストランで会話をした人達に止められ、泣く泣くタクシーに乗った。周囲の人が心配していたのは私の金銭面ではない。私の背中には、ある大きなものを背負っていたからなのだ。
しかし、島のタクシーは遅い。
のんびりのんびりと走る。
せっかちで気が短い私も、この台風ではそんな気持ちも全く起きない。とりあえず、宮古の一番栄えている町までお願いした。
平良市、そこが宮古のシティである。まだ行った事のない人のために、あまり詳しく書くのはよそう。とにかく、「一番活気のあるシティ」である事を頭にいれて足を踏み入れてほしい。けっこう驚く。
この町に位置する、太陽を連想させるような明るい建物がゲストハウス「A」だった。
「こんにちはー!」
入り口で大きく叫ぶ。返って来る声はなし。
(ん?誰も居ない?)
アノー、と、再びつぶやいた私は、ゲスト用の居間らしきところに居たお兄ちゃんの方へと顔を覗かせた。こういった居間のようなくつろぎの場所を、ゆんたくルームと呼ぶらしい。
「あっ、お客さんですね、すみません!聞こえなくって。」
お兄ちゃんはあわてて玄関に走ってきた。その足音を聞いたのか、奥からもう一人お兄ちゃんが出てきた。どうやら、二人ともこの宿のスタッフらしい。
お兄ちゃん尽くしの歓迎だ。
お兄ちゃん尽くしに慣れていない私は、にこやかな笑顔で迎えてくれるその二人がまるで民衆の前に仁王立ちする二人のキングに見え、恐る恐る訊ねた。
「あの・・・お二人はコチラの宿のお方?」
「そうです、僕らふたりでやってるんで、何かあったら何でも聞いてください。」
後で出てきたお兄ちゃんはユースケさんと言うらしい。関西から宮古へ出て来てゲストハウスを経営するオーナーさんだ。先にゆんたくルームに居たのがカイさん。放浪旅の途中にこちらの宿にたどり着き、今はヘルパーさんとして働きながらお世話になってると言う。
ずばり、二人とも正真正銘の「イケメン」であった。
私はこう見えて少し異性が苦手なところがある。
苦手というと語弊がある。苦手ではない。私自身が全く色気のない体育会系体質なので、男性を異性としてというより(こうありたいと思うような)憧れの先輩として見てしまう傾向があるので、容姿にあまり心動かされることがないという意味である。
そんな私でもイケメン運営の宿となるとやはり、気分がいい。前述で屁理屈を並べたが私も普通に華やかなアイドルを見て素敵!と叫ぶ普通の心の持ち主だったということだ。
少し「ワル」の香り漂う男っぷりのいい硬派なユースケさん、愛らしい顔に実は芯の強そうなカイさん。全くブラボーな宿だと下世話にも思ってしまった。
宮古にして本当に良かった。
そう、台風なんて忘れてしまった瞬間だ。
宿泊の手続きを終え、背負っていた大きな荷物を下ろした時、カイさんの表情が少し変わった。
「ギターやってるんですか?」
私の背負っていた大きな荷物、それはギターだったのだ。
「あ、はい。ハッタリです。」
即座に私は答えた。
私はこの旅に、買ったばかりのギターを連れてきたのだ。台風の中、徒歩で市街地まで行かんとする私を引き止める住人が多かったのも、このギターが雨にさらされる事を不憫に思っての事だったのだろう。
しかし、この時の私はギターを始めたばかりだった。むしろはっきり言って全く弾けなかった。簡単なコード弾きで一曲、かろうじて鳴らせるかどうかくらいのレベルであった。
何故ギターを持ってきたのか自分でもよく分らない。唯一わかるのは「背中にギターを背負って放浪旅をしたら見た目がかっこいいだろう」という、ハッタリで背負ったという事実だけだった。
しかし、弾けないギターを持って歩いても重くて邪魔になるだけではないか。実際に台風を目の当たりにしたその時、大きなギターは既に邪魔苦しい存在となっており、よくわからない理由で持参したを事を後悔し始めていた。
だが、この「よく分らない勇気」こそが、私の運命が変わった瞬間なのであった。
宿に到着した頃には雨風は一時的に弱まっていた。
荷物を下ろし部屋でひと段落した頃には、空からは日差しが再び差しかけていた。
私は、せっかくだから宿から歩いて10分のパイナガマビーチへと向かった。いつ再び台風が来るかもしれないから止めた方がいい、と皆に止められたが、とりあえず様子だけ見て戻ろうと思ったところ、不思議な事にビーチに着くとかんかん照りの晴天になった。
改めて言うと、晴れそうな気配があったため、私はビーチへ向かっただけであるので、本当に雨風の中でビーチへ向かうことは、絶対にやめた方がいいと強くお伝えする。
その美しい海で、ビーチバレーをするお兄ちゃん、お姉ちゃん達がいたので、見ず知らずのその方達の輪にちゃっかり混ざり、初日の宮古を満喫して宿に戻った。
宿に戻ってしばらくすると、一緒にビーチバレーを楽しんだお兄ちゃん達に再び会った。そうか、同じ宿に宿泊する人たちだったのか、島は狭い、そう思いながらも私はすぐさま声をかけて先程のビーチバレーの話しで皆で盛り上がった。
そして、その夜から3日間、宮古島に大型の台風が上陸した。
私たちは宿に缶詰の状態となった。
(2ページへつづく)