「ユースケとカイ」
第2話《嵐のよる》
悲しい気分を癒しにパラダイスの気分を求めてやってきた沖縄、宮古島。
それなのに台風の上陸で篭りきりなんて、惨めな気分の追い討ちのようだ。まるで「お前はそういう人生だ」と神様に言われたような気分であった。
初日の夜からどこにも出られない状況となると、3日分の時間と宿代が惜しいとせこい事をネチネチと考えていたが、その気持ちはすぐに吹き飛ぶことになった。
一歩も外に出られない状況というのはなかなか楽しい。
宿泊客の皆でゆんたくルームに集まり、たこ焼きパーティーをしたり、たこ焼きを交互に焼いたり、たこ焼きを食べたり、タコ無しのたこ焼きパーティーを楽しんだ。
なぜか、たこ焼きパーティーの光景ばかりを思い出すのは、やはりそこにはたこ焼きしかなかったからなのだろう。
これは我々宿泊人の大いなるミスでもある。
到着した日の夕刻、まさにビーチから戻ってきた頃に、オーナーのユースケさんより「台風直撃を目前とした今、食料を確保すべく車で買い出しに出かける」という提案があり、車に乗り込む希望者を募っていた。
その中に私も参加したのだが、買い出しに出かけた複数人のそのほとんどがビールや酎ハイ、おつまみばかりを買っており、我々とは別で買い出しに出かけた宿泊客も同様なものを買い込んでいたという結果である。
「何か戸棚にないかな」と、キッチン周辺を覗くも食料ではなく泡盛が登場してくるという予想通りの展開だ。
しかし、そんな食材不足を補ったのが最強かつ万能な「粉物」だったのだ。粉物がおおいに活躍した3日間であった。
皆がたこ焼きの争奪に明け暮れながら飲んで騒いでいた矢先、ゆんたくルームの隅の方からギターを奏でる音が聞こえた。ふとそちらの方角を見ると、宿泊者のひとりがクラシックギターを弾いていた。
「ギターお弾きになるんですね。」
そう私が声をかけると、
「実はこのギター、カイさんのギターなんですよ。カイさんギタリストなんで。」
その人は言った。
えっ、カイさんの?カイさんってスタッフの?再び訊ねると、その人はこくりと頷いた。
ギター弾きが宿にいると知った私は、ギター弾いて、ギター弾いてと本人にリクエストに向かった。カイさんは答えた。
「僕、人前であまり演らなくて。元々、目立つ事とか苦手なんです。」
何と。
ミュージシャンは目立つのが生きがいとばかり思っていたが、皆が皆、目立ちたい人間ばかりではないのか。
私は再び、ギター演奏が聞きたいとお願いしたがカイさんがその指を動かすことはなかった。
その頃、外は暴風域真っ只中だった。
宮古の台風は強烈で、上陸してしまったら最後、一歩も宿から出ることは出来ない。昼も夜も、泡盛で飲んだくれて騒ぐしかない。肴はもちろん、たこ焼きだ。
この時の宿泊客の中に、たこ焼きを物珍しく突く外国から沖縄へ旅行に訪れて来ていた家族がいた。スティーブさんという男性を中心とする海外からのゲストファミリーだ。
彼らは日本語をあまり喋れないうえに、このような事態となり宿に缶詰状態。たこ焼きを突くとき以外は少し退屈そうな顔をしていたので「台風の夜の余興にでもなれば」と思った私は、馴染んで間もないギターをモタモタと弾きながら、スティーブさん家族へ向けて一曲歌い始めた。事情を明かすと、その一曲しか私は弾けない。
すると、その様子を見たカイさんが居てもたっても居られなくなったのか、私の歌の後ろでギターを弾き始めた。私のギターが相当酷かったのだろう。
私は、歌いながら鳥肌がたってしまった。
カイさんのギターの腕は本当に素晴らしく、いや、そればかりではない。合うのだ。初めてなのに、歌っていて、一緒に弾いていてとても心地よい。余興を終えた後、たこ焼きパーティー会場は拍手喝采であった。
「凄い!ビックリやなぁ。ヨーコちゃんもいい声やし、それにカイ!お前って凄いやん。今まで人前で絶対弾かへんかった癖に、むっちゃ上手いやんか!」
宿のオーナーであるユースケさんが拍手をしながら大きな声でそう言った。
要約すると、この拍手喝采はカイさんによるギター演奏の賜物と言って良い。
宿の常連であるお客さんも、カイさんのギターは初めて聞いたのだそうだ。皆がその音に感動していた。誰か一人でもいい、私の歌にも感動してくれ。
アンコールの声が飛び交う中、カイさんをちらりと見ると、カイさんは小さく頷いた。
「えー、それでは・・・先程と同じ曲で、I saw her standing thereを。」
「・・・同じかい!」
宿泊客に関西圏の方が多かったため、すかさず欲しいツッコミが返ってきた。
事情を明かすとこの時の私はこれしか弾き語りできない。
しかし、コードは一通り押さえられたので、響きとしてシンプルなコードで歌えそうな曲をやってみるか、もしくはアテぶりでやるしかないと思い、カイさんへと伝えた。
「適当にやりますから、お願いしますね。」
まるでセッションを行うプロのような偉そうな口ぶりだ。
カイさんの顔はやや眉をしかめていたものの、満更でもなさそうにも見えた。後にして思えば、それこそがギタリスト、それこそがミュージシャンの性というものなんだろう。
演奏は夜通し続き、大盛り上がりとなった。ネタバラシをすると、そのほとんどがカイさんのソロ演奏ではあったものの、私はビートルズの曲を弾き語り、時折アテぶりなどで誤魔化しながらも歌唱参加し続けていた。
そんな最中、ビートルズの曲を披露して気分が高まった私は、
「半年後、私はイギリスに行く!そしてリヴァプールで演奏します!」
思わず、そんなハッタリをかましてしまった。
周りの誰もがハッタリだと思ったであろうが、「頑張れー!」「そうだ、そうだ、イギリスに行けー!」と、声援を送ってくれ、最後には皆でビートルズの大合唱となった。とてもハッピーな時間であった。
その日以降、私とカイさんは寝る時間以外の全ての時間、一緒にギターセッションをする事になった。荷物を減らしたかったがために譜面こそ何も手元には無かったが、互いの思い出した曲を教えあって、演奏に味付けをしていった。
インターネットで曲の展開やコードを公開してる曲もある、ということを知ったのもそのセッションの時だった。まだまだ多くの曲数はアップロードされていない時代とは言え、それまで一曲のコード欲しさに分厚い楽譜を買いながら練習していたことを考えると、便利になったものだと思った。しかし、その後宮古島を離れることになってからもしばらくは紙のビートルズ楽譜にお世話になった。
日数にしてわずかな宿ごもり時間ではあったものの、ギターに終始触れる時間を持てたことは台風のおかげだ。台風が直撃してなければ、宿にこもってなんかいなかっただろう。おそらく、ギターに触ることもなかったかもしれない。
私達が一番最初にセッションして仕上げた曲、それは「WAVE」と言う曲だった。アントニオカルロスジョビンの名曲だ。
宮古に台風が上陸したその3日間、「WAVE」がゲストハウス「A」の中で何度も響いていた。
(3ページへつづく)