「ユースケとカイ」

第6話/最終話《 波 》

 

 

しばらくして東京の我が家へと戻った私は、以前と変わらぬ日常を過ごしていた。

 

都会の喧騒に包まれながら日々走り続ける。

変わらない友達の顔、楽しいおしゃべりに癒されながらも、ふと思い出す旅のこと。あの海も波の音もそれらは全て思い出となり瞼の裏へひっそりと潜むだけで、徐々に現実の世界からは遠のいてゆく。

 

現実の世界の私は、東京のビルの合間を自転車ですり抜けながら決められた毎日を過ごしている。

雑踏の中で焦りながら自転車を漕ぐことに息苦しさを感じながらも、安心してしまう自分もいた。それは周囲に何も見えず先もわからない道を走るよりも、随分と落ち着くものなのだと気づいた。

変わったことといえば、少しだけ弾き語りのレパートリーが増えたことぐらいであった。

しかし、そのほんの少しの変化は、立ち止まったことによって得られたことかもしれないと思った。

 

それからもゲストハウス「A」には何度か連絡した。

宿のオーナー、ユースケさんとは、メールや電話で近況を伝え合う良き友となった。

ただ、同時期に滞在していた宿泊客とは互いに連絡先を交換することもなかった。それが、放浪旅ゆえの一期一会であり、旅人同士のマナーというところでもあった。

私たちは、どこかの旅先で偶然にまた出会うことを願って別れていた。

 

ユースケさんと雑談や近況連絡を楽しんでいる時に、ゲストハウス「A」に偶然当時の常連客が滞在している時もあった。その際は電話越しの会話だけではあるが再会の時に身を弾ませた。

カイさんも変わらずそこにおり、私たちはギターの話しでよく盛り上がった。

 

そして、宮古島の台風の夜から数えて約半年後。

宮古島の旅をした翌年の2月に、私はイギリス・リヴァプールで演奏をする事が出来た。

 

イギリスへでの演奏の夢の応援をしてくれたのも、彼らだった。

ユースケさんとカイさんの後押しがなければ、イギリスに向かう事を決意しなかったのではないかと思うときもある。

 

ハッタリとはいえど宮古島で私が放った「イギリス演奏宣言」。やはり形だけでも実行すべきではないかと考えていた私は、宮古島の「あの夜」に宣言した、半年後というハッタリ期限ギリギリのタイミングで、イギリス渡航へ向けて動き始めた。

海外渡航の情報を調べていたところ、イギリス以外の国に興味を持ってしまう事も多々あった。

一時は、他の国へギターを持って飛び立ちたい衝動にも強くかられていたのだった。

 

ギターを背負った放浪の旅として宮古島を選んだのは、海がある南国だったからだ。

日焼けを気にもせず裸足で走り回れるような環境が好きで海が好きだった私は、なんとなく宮古島が気になって向かっただけではあったが、実際に滞在した後になると、その温暖な気候や緩やかな時間の流れを思い出すかのように日本国外の海のある場所にも目を向けてしまう。

しかし、私には「ビートルズ」というバンドの存在があった。ただ「好き」と真っ直ぐに言える存在だった。

そして、弾けないギターを買ったきっかけもイギリスであり、ビートルズであり、リヴァプールだった。

 

実は宮古島に旅立つ少し前に、イギリスへひとり旅に出かけたばかりであり、その旅そのものがまさに感傷の旅だったのだが、リヴァプールの路上で出会ったある弾き語り青年に心を救われ、そして影響されてギターを手に持つようになったのだ。

その帰国後も苦況は続き、休息したい思いで海のある場所へと放浪したが、イギリスひとり旅から全てがはじまり、そこから広がって繋がった世界が、ギターを連れて旅へ出るという発想であった。

だから、その「はじまりの場所」へ戻りたいという思いもあった。

台風直撃のあの夜、余興した時に放った「ハッタリ宣言」も、ハッタリの根拠があるといえば、ある。

 

しかし、いざ海外渡航を現実的に考え始めると、さまざまな情報に出会うことになる。目移りしても致し方ないほか、宮古島のような雰囲気を持つ海外の地にもやはりとても惹かれた。

また、英ポンドのレートはとても高く、再び訪れることは私にとっては些か身分不相応な気もしてならなかった。

実際のところは、ビートルズを生んだ国であり、ロック音楽の本拠地イギリスの地で素人が弾き語りをするというのは、自爆行為以外のなんでもないと思う気持ちの方が強かった。

日本国外へ出た経験も1度きり、英語もまともに喋れず、ミュージシャンとしても卵以下。

海外の犯罪率や治安などを調べるたびに不安になり、そんな場所にギターという「大物」を持参して一人で向かう。はっきり言って、怖い気持ちの方が大きい。

さまざまな思いが波のように押し寄せて来た。

 

私がイギリス行きを迷っている頃、ユースケさんから電話があった。

それは私が宿に送ったものが届いたというただの連絡だったのだが、「実はイギリス以外の別のところに旅しようかと思っている」と、つい、思いをぽろりとこぼしてしまった。

ユースケさんは間髪をいれず、

「そういう話しやったら、カイがいいと思うので、代わるわ。」

そう私に伝えると、すぐさまカイさんに電話を回した。

そしてカイさんはただ強く一言だけ、こう言った。

「君は絶対にイギリスだと思う。」

カイさんは、私のイギリス行きの背中を迷いもなく押したのだった。

 

そして私は、ハッタリではなく本当にイギリスで演奏をすることができた。

それはまさに奇跡の出来事だった。

 

その出来事は、宮古島での「あの夜」から続いたものだ。

ユースケさんとカイさんの存在と後押しがなければ、もしかしたら辿り着くことができなかった道かもしれない、そんな風に思った。

 

イギリスライブを終え帰国した私は、二人に報告すべく宮古島に連絡した。

だが、既にカイさんはゲストハウス「A」には居なかった。

ユースケさんの話しだと、再び旅に出た彼は「今は吉野海岸あたりにいるらしい」と。

 

私もまた、ひとり、旅を続けている。

その旅の背中には、くたびれたギターをいつも連れている。

 

彼らの出会いなくして人生は語れない。

音楽によってめぐり逢い助けられた出会いが沢山ある。それらは宝石のようであり、仮令その縁が遠くなっても出会いによってもたらされた時間は輝きを失うことはない。

彼らもその出会いの中の大切な一部であり、その一部は私の人生の一部でもあるのだ。

 

オーナーとして宿を切り盛りし、その男っぷりの良さで宿泊客の皆を幸せにしていたユースケさん。

彼はきっと今も多くの人たちを幸せにし、周囲から愛され続けているだろう。

 

そしてカイ。

君は今頃、どんな旅をしているのだろう。

どんな海の色を眺めているのだろう。

ギター片手に旅を続け、出会う人々へ向けてその美しいメロディーを今も奏でているのだろうか。

いつかきっと、彼と何処かで再び演奏できる日が来る気がする。

 

 

私の手元には、一枚の絵葉書がある。

懐かしい、珊瑚の海の絵。その海からは「WAVE」が聞こえてくる。

そこにはこう書かれている。

「イギリスライブに向けて、お互いがんばろう! カイより」

送り主の住所はない。

 

 

(おわり)

 

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